連載:日本の裏性接待史 シリーズ2:職域の深淵――福利厚生に隠された「通過儀礼」 第五章

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第五章:時代に取り残される「ムラ」の終焉

「昔はこれが『当たり前』だった。でも、今はこれが『爆弾』に見える」

そう語るのは、長年、地方拠点の総務部長として「裏の調整」を担ってきた初老の男だ。彼のデスクの引き出しには、かつて役員たちが保養所で羽目を外した際の「清算書」が今も眠っている。しかし、その書類が日の目を見ることは二度とない。なぜなら、彼らが築き上げてきた「聖域」は、今、内部から音を立てて崩れ始めているからだ。

崩壊の引き金となったのは、皮肉にも会社が推奨した「デジタルトランスフォーメーション(DX)」と、若手社員たちの手に握られたスマートフォンだった。

かつて、保養所の秘密は「墓場まで持っていく」のが組織人の美徳とされていた。しかし、今の若者にとって、組織への忠誠心は、自身の尊厳を上回るものではない。録音データ、隠し撮りされた写真、そして匿名掲示板やSNSへの告発。かつて警察や自治体が握り潰してきた「不都合な真実」は、今や一瞬にして国境を越え、全世界へと拡散されるリスクを孕んでいる。

「コンプライアンスという言葉が、ようやく山奥の保養所にも届き始めました」

そう語るのは、中堅社員の佐藤(仮名)だ。 「最近では、役員たちが若手女性を呼び出すことも減りました。代わりに、彼らは極端に疑心暗鬼になっています。『あの子はスマホを持っていないか』『ボイスレコーダーを隠していないか』。かつての奔放な宴は、今や互いを監視し合う、冷え切った酒席へと変貌しました」

しかし、この変化は、組織が浄化されたことを意味しない。むしろ、長年「裏接待」という歪んだ潤滑油で回ってきた組織から、その駆動力が失われたことで、深刻な「機能不全」が露呈し始めている。

「性」や「貸し借り」で繋がっていた役員と幹部候補たちの「共犯関係」が消えた後に残ったのは、共通のビジョンも、互いへの敬意も持たない、ただのビジネスライクな集団だ。昭和的な「ドロドロとした団結力」を失った組織は、新しい時代のリーダーシップを構築できず、ただ過去の遺産を食いつぶしながら漂流している。

「買い叩かれる日本」という前作のテーマは、この土着的な組織においても形を変えて現れている。 優秀な若手ほど、この「ムラ社会」の腐敗にいち早く気づき、外資やベンチャーへと流出していく。後に残るのは、このシステムに従順であることを選んだ、変化を拒む人間たちだけだ。企業城下町の象徴であった巨大な煙突からは、今も煙が上がっている。しかし、その中身は、かつての活気を失った、空虚な「組織の抜け殻」に過ぎない。

「福利厚生」という名の免罪符は、もはや通用しない。 かつての保養所は次々と閉鎖され、更地になり、あるいは格安の民泊施設へと姿を変えている。しかし、その土壌に染み付いた「人を駒として扱う」という慢心は、そう簡単には消え去らない。

この連載を通じて描いてきたのは、日本の組織が抱える「甘え」の歴史である。 身内なら許される、地方ならバレない、福利厚生なら問題ない。そんな身勝手な論理が、どれほど多くの若者の夢を摘み取り、組織の未来を腐らせてきたか。

夜の帳が下りる頃、かつての「聖域」であった保養所の窓に灯りは灯らない。 それは、一つの時代が終わったことを告げる静かな弔鐘のようにも聞こえる。日本企業が、真の意味で「人」を資産として尊び、透明な組織へと脱皮できるのか。それとも、このまま「昭和の亡霊」と共に朽ち果てていくのか。

答えは、今この瞬間も、どこかのオフィスで、あるいはどこかの工場で、理不尽な「おもてなし」に抗おうとしている若者たちの手の中に握られている。

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