連載:日本の裏性接待史 シリーズ2:職域の深淵――福利厚生に隠された「通過儀礼」 第四章

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第四章:聖域の番人たち――自治体・警察との不適切な距離感

「パトカーのサイレンが、あの保養所の敷地内で鳴ることはありません。たとえ中で何が起きていようとも、です」

そう静かに語るのは、かつて中部地方の企業城下町で所轄署の幹部を務めていた元警察官の男(70代)だ。彼が在職中、その町に君臨する巨大メーカーは、警察官の親睦団体や地域の防犯協会に対して、多額の寄付金と「天下り先」を提供し続けていた。

企業城下町において、企業は最大の納税者であり、最大の雇用主だ。市長も、県議も、そして治安を守るはずの警察も、その企業の存続と「平穏」に自らの生活を依存している。この圧倒的な力関係が、福利厚生施設という名の「裏接待場」を、法が立ち入れない「治外法権の聖域」へと変貌させていく。

「何かトラブルがあった際、最初に入るのは警察ではなく、会社の『総務部』か、そこから委託を受けた地元の警備会社です。女性社員が泣き叫ぼうが、怪我をしようが、すべては『社内の不祥事』として処理される。被害届を出そうにも、相談に行く先の警察官が、週末にその同じ保養所で役員と酒を酌み交わしている顔馴染みだったりするんです」

実際、接待の場には、時として地元の有力政治家や、警察署の幹部が「ゲスト」として招かれることもある。 「官民一体の地域振興」という名目のもと、彼らもまた、会社が用意した「福利厚生」の恩恵にあずかる。最高級の酒、地元の名産、そして横にはその会社の若手女性社員が座る。この「接待の共有」こそが、不祥事を闇に葬るための最強の防波堤となるのだ。

「一度でもその座敷で『いい思い』をすれば、彼らは共犯者です。会社の不利益になるような捜査や監査は、自らの首を絞めることに直結する。こうして、地域全体が一つの巨大な『隠蔽体質』に染まっていくんです」

この癒着構造は、若手社員たちから「公的な救済」という最後の希望を奪い去る。 社内のコンプライアンス窓口は機能せず、地元の警察も頼れない。弁護士に相談しようにも、地元の法律事務所の多くは、その企業と顧問契約を結んでいるか、親戚がその会社に勤めている。

「逃げ場がないんです。この街で声を上げることは、自分のキャリアを捨てるだけでなく、家族全員を街から追い出すことを意味しますから」

かつてその企業で事務職をしていた女性は、当時を振り返ってそう呟く。彼女が受けた執拗なセクハラと「夜の呼び出し」について、勇気を出して地元の相談窓口を訪れた際、担当者に言われた言葉は今も忘れられないという。 「『君のお父さんもあそこの工場で頑張っているじゃないか。波風を立てて、お父さんの退職金に響いたらどうするんだ?』。それは助言ではなく、明確な脅迫でした」

聖域の番人たちは、法の正義を守るためではなく、企業の「体面」という名の秩序を守るために存在する。彼らにとって、個人の尊厳が踏みにじられることよりも、企業のブランドイメージが傷つき、地域の経済が停滞することの方が、遥かに重大な「犯罪」なのだ。

保養所の高い塀と、杉林の静寂。その向こう側で繰り返される悪行は、地域権力という名の強固な地層の下に深く埋め戻される。第四章で浮き彫りになったのは、企業という私的な組織が、公的な権力までもを「福利厚生」として私物化してしまった、腐敗の極致である。

次章、最終章では、この土着的な「職域接待」が、現代の価値観の変化といかに衝突し、崩壊の兆しを見せているのか。そして、その後に残る空虚な組織の末路を総括する。

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